チーム世界選手権自戦記④

2024年8月21日

5月1日(水)

 この日は中国3、中国1との2連戦。5Rの中国2戦を加えると強敵で絶望的な3連戦。大将への代打を藤田さんに昨日2回お願いしていたので、バランス的にも今日は私が2回目務めるかということで、本日は汪清清、梅凡というおよそATのような2連戦でした。藤田-汪戦を回避した理由は昨年もこれからもWTでよく当たることになるだろうからという気遣いもありました。

 朝食の時に汪さんから「日本2の大将は丸田と藤田のどっちが出るの?」というように聞かれたので、「ではあなたは出るんですね?」とかわしておきました。

 中国3戦は大将丸田、副将に藤田というオーダーになりました。

 棋譜

 相手の仮先にスワップし間接に打たれました。3手目もスワップで良かったのですが浦月を打ち、さらに4、5と打ち、これを採用したのは完全に珠王戦のカンサンミン戦の験を担ぎました。験担ぎで勝てるような相手ではないですが、何かに縋りたい気持ちでした。5を狭い方にあえて打つのはタラグチ10らしい手。6は良さそうというところまで見ていたもののその先を調べておらず、この作戦を使おうと思うなら調べておけよと自分にツッコミました。7が失敗だったか終始相手ペースで気がついたら普通に負けていたという感じ。折角なのでもう少しうまく打ちたかったです。

 この3ラウンドでは藤田さんが初勝利をあげ、Bチームでここまで勝利がないのは私だけとなりました。

 昼食に向かうと「虾票」と書かれた紙を手渡されました。鍋のゾーンを見ているとその漢字がエビであることがわかりました。本日のおすすめのなのかなと思いながら食べてみました。

 中国1戦では藤田さんを休ませ、大将に私が入るオーダーになりました。

 棋譜

 4Rの梅凡戦。普通に考えれば今大会で最強の相手。こちらの仮先からスワップされたので間接に打ちました。そうしたら峡月を打たれました。海外選手に多いのかもしれませんが、3の位置は日本の通常とは異なる位置でした(通常は2の右に3を打つ)。A級リーグでも打った4を打とうとしましたが、この3の位置だとどこ?というのを、どうせ時間は余るだろう、ここで凡ミスで間違えたら悔いが残るという思いで慎重に座標確認をしました。スワップされたので中山さんが以前打ってきた5を打ちましたが、準備は十分ではなかったです。白を取られ6は以前私が打った6(9手目の位置)の方が良かったはずと思い頑張って食らいついていくことにしました。6のところで長考していたので会場のケーキを優雅に食べていました。途中までは黒が広い方に配置していると思って黒有利に進んでいるのでは?と思っていました。緊張のためかエビの所為かケーキの所為か異常なくらい頻繁に尿意を感じました。スマホは勿論預けているものの自分でも不正を疑うような頻度でお手洗いに行くことになり辛かったです。チームメイト3人が負けていなくなる中、今度は腹痛も併発し始めました。局面を考えながらではありましたが、一度ゆっくりお手洗いに行ったほうが良いのではないかということも考えていました。それがなかったからと言って勝てる相手ではないですが、終盤は精細を欠いたかなと思いました。34からの攻めは間を縫うような攻めで全く見えていませんでした。何か強さが異常な時に悪い物でも食べたと言いますが、ここまで善戦できたのはまさにそういうことだったのかもしれません。

 夕飯は腹痛の具合が治らずMさんから提供してもらった味噌汁のみとしました。この日を含めて3日連続で夕飯は味噌汁だったと思います。料理は美味しいのですが、やはり脂っこいのと9割同じメニューに飽きを感じ始めてもいました。

 5Rは四将で出場予定でしたが、なかなか腹痛の様子が回復せず、休むこととしました。四連投で活躍の宮本さんは休ませ、福井さんに代わりをお願いしました。言うなら早めが良いだろうと前日にチームメイトに伝えました。あれだけみんなの体調を気遣っていながら、最初にして大会期間中は唯一の体調不良となるとは思いませんでした。(閉会式の日に1人、翌日の安吉への移動日に1人体調不良が出たと記憶しています)

 東陽さんは空港で不運なトラブル(新泰市に観光と書いたらそんなものはないと言われる、ホテルまで運んでくれるスタッフに会えない)があり心配しましたが何とか夜には合流となりました。自身が体調不良のため薄い対応となりましたが、移動の労いとネームプレートを渡すを行いました。

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