チーム世界選手権自戦記0-episode of sideB-

 ゴールデンウィークから随分時間が経ちましたが連珠のチーム世界選手権の自戦記を投稿していこうと思います。

 目標は連日での投稿です。投稿済みの物も加筆・修正する可能性があります。

 内容を再編集して連珠世界にも投稿の予定です。

 気を付けているつもりではありますが、誤っている部分や不快な表現があればご連絡ください。

 今日は出発日までの部分です。(次回以降は写真も載せられるかと思います。) 

 2月の珠王戦(全日本選手権)で一つ基準となる3勝3敗を達成して、もしかしてBチームでの出場権が回ってくるのでは?と思っていました。大会後、程なくして、キャンセルの関係でBチームとしての出場の順番が回ってきたと連絡がありました。2006年、2016年に海外遠征をしているので、次は2026年かなとずっと思っていたのですが、2年早く来たチャンス。2年後に成績が良いか分かりませんし、カンサンミン珠王に勝ったというホットな話題もあったので参加してみたいと思うようになりました。仕事の関係以外に行くことは可能か確認しなければいけないところがあったので、2月中まで前向きな保留とさせてもらいました。その間に藤田、福井、田中、宮本と決まっていきました。確認で何とかOKが出て2月末に参加を表明しました。

 合議枠の選定として、成績を優先しました。次の候補である東陽さんが、所用があり途中参加にはなるが、安吉も行くとやる気になっていたので東陽さんにお願いしました。

 パスポートの取得に向けては3月5日に申請に行ったのですがかなりの混みようで、とりあえず、約1時間待ちで窓口①へ、それから約2時間後に窓口②で終了という待ち時間で②の時にはネットで進行状況がチェックできたので歩いて30分くらいの囲碁将棋喫茶樹林で時間をつぶしました。

 チーム戦後の安吉での大会は折角中国まで行くならと検討した時期もありましたが、3日程度とされていた日程がほぼ1週間に延びたため断念しました。

 キャプテンについては、Bには岡部さんのように絶対的にキャプテンというメンバーがいなかったので立候補が出ず大変でした。過去にチーム戦に参加したメンバーから選ぶとして丸田さんか福井さん、という意見が出て、福井さんは珠王戦が久し振りの実戦復帰だったので各選手との関係は私の方が深いだろうと思い、皆さんがそういう意見ならと立候補して承認されました。

 中国ビザの取得に関してもなかなか大変でした。過去に2回中国に行っていますがその時はビザ無しで行けました。しかし2020年くらいから必要となったようで、その申請は大変なものとなっていました。記入項目の多い申請書に、条件がかなり厳しい顔写真、本来なら日本に5箇所しかない申請所に直接行かなければならない(実際は代理人を使い回避しましたが、東京が江東区なのは楽でしたが石川が名古屋、宮城が新潟でした)などハードルは多かったです。歴戦の強者の岡部さんをもってしてでも過去一レベルに大変だったとのことでした。

 オーダーについては特に大将の選定に苦労しました。大将は敵チームの大将としか当たらないので厳しい戦いが予想されるためお願いしづらかったです。エストニア大会の時は館さんで強豪にもまれて強くなってもらおうと飯尾さんが采配したよ、とアグレッシブな若手の立候補を期待しましたが手が挙がらず悩みの種でした。出発1週間前に研究会がおこなわれ、オーダーどうするのとなった時に、岡部案があるんだけどと言われて岡部案を見ました。東陽さんを大将に据える、田中さんは守備的なので副将で粘る、丸田、藤田はリザーブという案でなるほど確かにと思ったので「岡部さんの案なんだけど」、と提案し決定となりました。

 研究の準備については、詰連珠WEB版をシモキタ名人戦までに開発すると約束していたのでそれに割かれ、あまり十分にはできず、とりあえず会場まで行けばあとは結果が付いてくるはずと信じるしかありませんでした。

 チーム数についてはマカオやカナダが出るの?出ないの?という情報が錯綜して8~10あたりでどうなるか分からない状況でした。

 対局前に渡すお土産を買っていなかったので、出発前日は秋葉原へ。bilibili動画の国なので、(bilibiliは御坂美琴の愛称が由来)、とある科学の超電磁砲のグッズを探したけど良いものがなかったので、バンドリの(カードゲーム用の)スリーブにしました。また、1元を21.85円で換金してくれる店があったのでそこで500元用意しました。

続く